ブラジルといえば、すぐにサッカーとカーニバルが思い浮ぶだろう。大多数のブラジル人にとって、サッカーやカーニバルは水か空気のようなもの。好きとか嫌いとかいう対象ではなく、それがなければ生きている意味がなくなってしまうような存在だ。

  カーニバルはもとはキリスト教以前の古代ヨーロッパの農耕儀礼に始まり、カトリック暦の中に定着した祝祭だ。植民地時代にラテンアメリカ各地に移入され、アフリカ起源のリズムと色彩が加わって、異様なほどの進化を遂げてきた。なかでも、リオのカーニバルは地上最大の祝祭に発展し、毎年世界中からたくさんの観客が集う大イベントになっている。その主人公といえば、1年分の稼ぎをカーニバルの瞬間につぎ込むことをいとわない、ごく普通の庶民たちだ。

  カーニバルは参加チームが優勝を競う合うコンテスト形式で、2晩に渡って常設パレード会場(サンボドロモ)で熱いバトルを繰り広げる。エスコーラ・ヂ・サンバ(サンバ学校の意味)と呼ばれるチームは、毎年選ばれたテーマに沿って演出やシナリオ、テーマ曲を決め、衣装や山車をデザイン制作し、楽器や踊りの練習を繰り返しながら本番に臨む。1チーム当たりのメンバーは3000~5000人ほど、子供から老人まですべての年齢層が参加する。1時間強の持ち時間で、衣装や山車のデザインなど、バッテリア(打楽器隊)の演奏、チームワークなど10項目を競う壮絶なバトルが、夜通しサンボドロの花道に繰り広げられる。

  パレードはいわば動くサンバ・オペラで、テーマを音楽と視覚で表現する大規模な演劇空間でもある。たとえば、テーマが『桃太郎』だとすると、パレードは川に洗濯に行ったおばあさんが大きな桃を見つけるところから始まり、アラというセクションごとに情景を表現していく。30~50ほどのアラと10台前後の山車の組み合わせで、桃太郎が誕生するシーンから、鬼退治や宝物をゲットして凱旋するシーンへと、物語にそって展開していくわけだ。観客はひいきのチームのテーマ曲(サンバ・エンヘード)を一緒に合唱し、客席からパレードをサポートする。

  すべての基礎に流れているのはサンバのリズムで、サンバ抜きにはリオのカーニバルは成立しない。ブラジルの旧首都だった北東部のサルバドールに、黒人奴隷たちによってもたらされたアフリカ起源のリズムがその原型だ。19世紀末の奴隷解放で地方からリオの下町に移り住んだ彼らが、ダンス・パーティーなどで演奏していた故郷の音楽にさまざまな要素が加えられて、新しいテイストのサンバが誕生した。。1916年ドゥンガらによって作曲された『ペロ・テレフォーニ』という最初のサンバの曲が、翌年のカーニバルで大ヒット。一般に広がっていく契機となる。

  やがて、サンバを楽しむコミュニティーがリオ各地域に生まれ、その中から次々にエスコーラが結成されカーニバルに参加するようになった。現存する最古のエスコーラとして名高い『マンゲイラ』を始め、21回の最多優勝を誇る『ポルテイラ」』、派手な演出で2003年から3年連続優勝を飾った『ベイジャ・フロール』など、名門チームによるホットなバトルは、やはり現場に行ってじかに見ないとその醍醐味は味わえないだろう。もちろん、誰でも衣装を購入してパレード本番に参加することもできるし、サンボドロモ以外でもストリート・イベントやコンサート、「バイレ」というクラブのパーティーなど、さまざまな行事が行なわれる。
 
 リオ以外のブラジル各都市でも、世界最強の祝祭と呼ばれているサルバドール(バイーア)や、不思議な民俗色に満たされたレシーフェ、リオに対抗意識を燃やすサンパウロなど、それぞれに個性豊かなカーニバルがある。さらには、キューバやドミニカ、トリニダードなどカリブ海の島国や、メキシコ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ボリビアなどラテンの国々では、この時期どこに行ってもカーニバル一色に染め上げられている。サルサ、メレンゲ、カリプソ、ワイノなど、国ごと祭りごとに違うリズムが爆発し、きらめく原色の光に満たされるのだ。まさに、人はカーニバルのために生きていることが実感できるだろう。


  なお、ラテンアメリカ各国のカーニバル現地体験を写真と共に紹介した拙著『カーニバルの誘惑-ラテンアメリカ祝祭紀行-』(毎日新聞社刊)は、カーニバルを夢見るすべての人々にお奨めの1冊。これさえ読めば、あとは現地に旅立つだけ!!


日本で唯一のカーニバル評論家・白根 全






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